親鸞文学研究――倉田百三から五木寛之まで――
講師:渡辺(寿台)順誠(光西寺住職)                                               (2018/7/29更新) 

  親鸞文学研究
――覚如から五木寛之まで――

 今から100年ほど前、わずか数年間で13名もの作家が親鸞を題材にした小説や戯曲を発表するということがありました。この大正期の「親鸞ブーム」の火付け役は倉田百三「出家とその弟子」(『生命の川』12号〜22 1916年〜1917年)でしたが、その他に有名な作家のものとしては吉川英治「親鸞記」(『東京毎夕新聞』19224月〜11月=後のベストセラー『親鸞』大日本雄弁会講談社1938年の前身)が挙げられます。このブームの背景には、第一次世界大戦による社会不安の中で人々が「生きる意味」を求めていたということがあり、そこで多くの人が苦悩する親鸞の姿に共感を寄せたのだと言われています。
 この大正期「親鸞ブーム」の中で発表された諸作品が、昨年、『親鸞文学全集〈大正編〉』(全13巻・同朋舎新社)として刊行され始めました。今日また本当に先行きの見えない不安な時代を迎えている私たちにとって、かつての「親鸞ブーム」に改めて目を向けてみるのは大変意味深い試みではないでしょうか(大澤絢子「大正期親鸞文学における「人間親鸞」像の変容」『現代と親鸞』29巻、2014年等の大澤の一連の論考を参照)。
 現在はまだ大正期のものが刊行され始めたばかりですが、昭和期以降(戦前・戦後)も「親鸞文学」に含めることのできる作品は多く発表されています。ですから、今後さらに続編も出されるかもしれません。戦後、親鸞と取り組んだ有名な人だけでも、丹羽文雄、野間宏、三國連太郎、五木寛之などの名はすぐに思い浮かびます。
 また、逆に近代以前に目を転じて、覚如の『親鸞伝絵』(『御伝鈔』+「御絵伝」)を一つの出発点とする親鸞伝についても、従来歴史家が議論してきたように、例えば親鸞の結婚は一回だったか二回だったかとか、玉日姫は実在したかとか、息子・善鸞の義絶はあったか無かったか、とかといった事実関係の有無や真偽だけを問題にするのではなく、様々な形で語られてきた親鸞に関する物語から、人々(真宗門徒)の間に伝わってきた親鸞像の意義を明らかにしようとする研究もなされるようになっています(塩谷菊美『語られた親鸞』法蔵館、2011年)。その意味では、『親鸞伝絵』をはじめとする近代以前の親鸞伝の世界も、一種のフィクションとして捉え、いわば「親鸞文学」として研究することもできるのではないかと思います。
 そこで、私は今年度から
「親鸞文学研究」という講座を新設して、親鸞伝の出発点である覚如から大正期の「親鸞ブーム」を経て現在の五木寛之に至る「親鸞文学」全体を検討し、大衆的なレベルでの「親鸞像」の展開過程を見極めることによって、今後の親鸞復興の方途を探ってみたいと思います。
 本講座は以上のような意味で親鸞を題材にした文学作品(親鸞伝・小説・戯曲等)を検討の対象とするものですが、そのつど関連する思想家や歴史家の親鸞論も参照します。その意味では、本講座は文学作品を題材にした「親鸞思想の再検討」の試みとも言えます。講座の具体的な進め方については、参加者の皆さんと相談しながら決めたいと思います。
 
なお、本講座は、一昨年度・昨年度に「仏教と社会」という講座名の下、「仏教と文学」「文学作品で学ぶ生老病死」というテーマで開催していたものを、「親鸞文学」に結実させようとするものです。私は昨年還暦を迎えたのを機に、住職就任以来18年間にわたり光西寺で開催してきた各種催しの総決算とでも言うべきものとして、このテーマに取り組みたいと考えています。そこで、これまでは「仏教と社会」という講座名の下で種々のテーマを取り上げてきましたが、今後は「親鸞文学研究」というテーマそのものを講座名として、これに打ち込みたいと思います。参加して下さる皆さんとは、お互い往生するその日まで続くような息の長い関わりの中で、共に「生死出(しょうじい)づべき道」(生老病死の苦・迷いを超え出る道=『恵信尼消息』)を見出してゆきたいと思います。皆さんの積極的・主体的な御参加をお待ちしています。南無阿弥陀仏